空間について考える。(2)

 

Cは、光の速度であるから、距離と時間の相関です。距離も時間も物質がなければ存在しませんから、Cは、物質の尺度で計れる「空間の属性」ということですね。でも、この宇宙では、Cの値が1つなので、計れないと言う方が適切かも知れません。

真空中の光の速度は、常に同じ速度である。どんな光でも、どんな電波でも、必ず同じ光速で進むというのは、とても奇妙な事です。そんな事がある訳がない。そういう事が起きる原因は、ひとつしか無いと思うのです。

それは、全ての光や電波は、自ら空間を光速で進んでいる訳ではなくて、何かに乗っかって流されてくるのではないかという事です。海を漂流する物は、どんな大きなものでも小さなものでも、海流に乗って同じ速さで流されるのと同じ事なのではないのか?

「時間の流れに乗って時空を移動するものは、空間では、1秒間に30万Km移動しているように見える。」

空海

我々が見る光は、全て自分に向かってくる光です。何だそれはと思うかも知れませんが、よく考えてみれば明白です。自分に向かって来ない光、例えば、目の前を右から左に横切っている光を、我々は見ることはできないのです。見るどころか、その存在を確認することもできない。我々が確認できるのは、いかなる器具や観測方法を用いたとしても、その観測器に向かって飛んでくる光だけなのです。

つまり、光(電磁波)というものは、それを観測する物質に向かって飛んでくるものだけが存在するのです。それ以外の方向に飛んでいる光は、存在を予測できるけれども観測することはできないのです。
言い換えれば、光というのは、物質にぶつかることで初めて観測される。物質のない空間に光があるか無いかは、そこに物質を置いてみないと分からないのです。

この性質から考えてみると、光は、空間を伝搬してくるのではなくて、未来から現在に向かう時間の流れに乗っかって時空を運ばれてくる・・・のではないかと思われるのです。さらに奇妙な事ですが、過去のある時間に発光した光を現在に観測しているのだとすると、時空での光の速度は、マイナスの速度という事になりそうです。だって、時間は、未来に向かっているのに、光は過去から飛んでくるのですから。

いや、そうじゃないな。むしろ、空間的に遠く離れている物は、未来の時間に存在していると考えるべきかも知れない。つまり30万Km彼方にある物は、自分より1秒未来の時空に存在していると言える。それが1秒後には、自分の時間と同じ現在に到達する。だから、光に関しては、「時間の隔たり」と「空間の距離」とが同じであるということになる。

光は、空間を飛んだりしないが時空を進んでいる。1秒の時間が経つと空間を30万Km進んだように見えるということだ。

しかし、これもまた完全な理解ではないだろう。本当は、光は空間を飛んで来たりせず、時空を進んでくるわけでもない。光は、全く動かないけれど、未来の時間が現在の物質に向かって流れ込んでくるために、光が秒速30万Kmで進んでいるように見えるのだ。どちらがどちらなのか判別し難い。この空間、光、時間というのは、全てが同じものなのかも知れないという気がしてくる。

<つづく>

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